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伊东正义

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伊东 正义
 日本第104任外务大臣
任期
1980年7月17日—1981年5月18日
总理铃木善幸
前任大来佐武郎
继任园田直
 日本内阁总理大臣(临时代理)
任期
1980年6月12日—1980年7月17日
总理大平正芳
前任大平正芳
继任铃木善幸
 日本副总理
任期
1980年6月11日—1980年7月17日
总理大平正芳
前任福田赳夫
继任金丸信
 日本第43任内阁官房长官
任期
1979年11月9日—1980年7月17日
总理大平正芳
伊东正义(代,兼)
前任田中六助日语田中六助
继任宫泽喜一
 日本第14任水产厅长官
任期
1961年7月21日—1962年9月18日
农林大臣河野一郎
重政诚之日语重政誠之
前任西村健次郎日语西村健次郎
继任庄野五一郎日语庄野五一郎
 日本众议院议员
任期
1969年12月29日—1993年6月18日
选区福岛县第2区日语福島県第2区 (中選挙区)
任期
1963年11月22日—1966年12月27日
选区福岛县第2区日语福島県第2区 (中選挙区)
个人资料
出生(1913-12-15)1913年12月15日
 大日本帝国福岛县若松市
(现会津若松市
逝世1994年5月20日(1994岁—05—20)(80岁)
 日本东京都
政党自由民主党
配偶伊东辉子
父母伊东秀三郎(父)
亲属伊东健辅(祖父)
母校东京帝国大学法学部
日语名称
日语原文伊東 正義
假名いとう まさよし
平文式罗马字Itō Masayoshi

伊东正义(1913年12月15日—1994年5月20日),日本政治家

历任日本众议院议员(9期)、外务大臣(第109代)、副首相内阁官房长官(第43代)、自由民主党政务调查会长(第32代)、自由民主党总务会日语自由民主党総務会长(第30代)。祖父是会津藩士伊东健辅。

来历・人物

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出生于福岛县会津若松市东京帝国大学法学部毕业后进入农林省工作。[1]

1963年当选日本众议院议员,[2]他属于原农林省大臣河野一郎为首的河野派,后又加入密友大平正芳所属的池田派(领袖池田勇人)。

大平正芳任自民党总裁后,伊东成为党财务委员长,在第二届大平内阁中出任内阁官房长官,辅佐大平[3]

1980年,福田派三木派对大平内阁提出不信任决议,虽未得逞,但大平仍在5月30日病发入院。伊东在6月12日临时代理首相职务。[4]大平因病去世后,内阁总辞职。

1986年出任中曾根康弘总裁下属的自民党政调会长,重返政界,1987年任竹下登总裁手下的自民党总务会长。1993年从政界引退。1994年5月20日因肺炎东京都家中去世。享年80岁。

脚注

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  1. ^ 剧画‘小说吉田学校’の中でもこのエピソードが描かれている
  2. ^ ‘大平正芳’ 115页。
  3. ^ ‘大平正芳’ 256页。
  4. ^ 前日の6月11日付けで“内阁法第九条に规定する国务大臣に指定”する旨の辞令が発出され“内阁総理大臣临时代理の就任予定者”となったが、これには期间・条件等(“大平正芳の病気疗养中”など)の制限に関する付记がないため、形式的にはいわゆる“副総理”である。翌12日に大平が死亡したことにより新首相の亲任式までの间“内阁総理大臣临时代理”の职名を使用することとなった。

参考文献

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政党职务
前任:
安倍晋太郎
自由民主党总务会长
第30代:1987年 - 1989年
继任:
水野清
前任:
藤尾正行
自由民主党政务调查会长
第32代:1986年 - 1987年
继任:
渡边美智雄
政府职务
前任:
岸信介
1957年・石桥内阁
日本 内阁总理大臣临时代理
1980年
第2届大平内阁
继任:
青木干雄
2000年・小渊内阁
前任:
福田赳夫
日本 国务大臣(副首相)
1980年
继任:
金丸信
前任:
大来佐武郎
日本 外务大臣
第108代:1980年 - 1981年
继任:
园田直
前任:
田中六助
日本 内阁官房长官
第43代:1979年 - 1980年
继任:
宫泽喜一